2015年08月13日
群馬出張
昭和57年の記録に「日本一の大きさを誇る鰐口 正法寺様 納入」とある。
当時の事を知る者は今はいない。
関東出張の際、群馬県太田市にある正法寺様を訪問した。
創建は延喜年間(900年~922年)その後新田義貞の弟、脇屋義助の菩提寺になった
高野山真言宗のお寺である。
正面にそれはそれは立派な山門がある。
江戸時代初期の建造物で、左右には阿吽の仁王尊。
運慶の流れを汲む仏師康祐の作となっている。
さて、その山門の中央に太い撞き紐が見えます。
弊社の記録には6尺6寸(金具含む)とあり
直径は概ね2mになります。
普通は1尺~1尺3寸の品物に問い合わせがあるので
その大きさは破格とも言えます。
山門の吹き抜け部にその鰐口があり、
参拝者は都度鳴らすことが可能です。
ご住職はお盆間でお会いできませんでしたが
奥様が当時の事やお寺の由来など、貴重なお話をして頂きました。
奥の本堂(観音堂)にある聖観音像は12年に一回、一日だけ御開帳されるそうで
今回は拝むことが出来ませんでした。
社内に製造記録が残っているは昭和25年以降。
全てが記載されているとは思えませんが、それでも3,500件が
リストにあがっています。
その一つ一つに
思いが込められ、色々な物語があったと思います。
戦後間もない、まだまだ貧しい時代。
戦争で強制供出させられた梵鐘をなんとか元の鐘楼に・・・。
そんな語りを残して行くのも、わが社の使命かと思う日でした。
当時の事を知る者は今はいない。
関東出張の際、群馬県太田市にある正法寺様を訪問した。
創建は延喜年間(900年~922年)その後新田義貞の弟、脇屋義助の菩提寺になった
高野山真言宗のお寺である。
正面にそれはそれは立派な山門がある。
江戸時代初期の建造物で、左右には阿吽の仁王尊。
運慶の流れを汲む仏師康祐の作となっている。
さて、その山門の中央に太い撞き紐が見えます。
弊社の記録には6尺6寸(金具含む)とあり
直径は概ね2mになります。
普通は1尺~1尺3寸の品物に問い合わせがあるので
その大きさは破格とも言えます。
山門の吹き抜け部にその鰐口があり、
参拝者は都度鳴らすことが可能です。
ご住職はお盆間でお会いできませんでしたが
奥様が当時の事やお寺の由来など、貴重なお話をして頂きました。
奥の本堂(観音堂)にある聖観音像は12年に一回、一日だけ御開帳されるそうで
今回は拝むことが出来ませんでした。
社内に製造記録が残っているは昭和25年以降。
全てが記載されているとは思えませんが、それでも3,500件が
リストにあがっています。
その一つ一つに
思いが込められ、色々な物語があったと思います。
戦後間もない、まだまだ貧しい時代。
戦争で強制供出させられた梵鐘をなんとか元の鐘楼に・・・。
そんな語りを残して行くのも、わが社の使命かと思う日でした。
Posted by 金壽堂 at 15:06│Comments(0)
│梵鐘